【ネタバレ】結局、琅燦は何者なのか?(十二国記『白銀の墟 玄の月』感想/考察)
十二国記の新刊『白銀の墟 玄の月』をやっと読破しました。
(いろんな意味で)本当に長かった……。新刊が出るまでの年月も、結末までの道のりも。
今作はあまりに多くの人が無情に散ったのが悲しかった。
──さて、本題。
玄管・耶利の主公の正体(考察)
『白銀』の登場人物一覧(参考)
琅燦は何者なのか
本作『白銀の墟 玄の月』において超重要人物の琅燦。
黄朱の出である(と思われる)彼女は、元々は驍宗の麾下でした。驍宗政権時は『冬官長』という、とっても偉い職に就いていた超エリートです。
そんな彼女は謀反を機に阿選の側に侍りますが、そのくせ公然と「驍宗様の方が格上だった」と阿選を見下します。
彼女の正体は一体何なのか?
耶利の主公説
まずは耶利の主公説を検証。
泰麒の「耶利を遣わしてくれたのは、琅燦だったのではないのですか」というセリフから。
……でもコレ、あくまで泰麒の一方的な想像なんですよね。
泰麒は疑心暗鬼に近い状態で周囲を警戒していました。
そんな中、おそらく琅燦からは敵意を感じなかったのでしょう。他の官吏のような保身、無知、怠惰、媚び、阿選への崇拝──が、彼女からは一切感じられなかった。
醜い感情の渦巻く白圭宮の中で、おそらく唯一の異質な存在。それが琅燦だった。
だから泰麒は琅燦を敵と思えない。
泰麒が白圭宮にいると知っている人物で、尚且つ高い地位に就いており、阿選や張運に疑われることなく耶利を泰麒のもとに回せる人物。
それこそが琅燦であると泰麒は考えたわけです。
ちなみに耶利の返答は、無言。
ここからが個人的な考察。
耶利の主公は「私は戴を救いたい。国を救い、民を救い、その頂点にある玉座に驍宗様にいていただきたい」と力強く言っていました。「国や民はどうでもいい」と言い放つ琅燦とは天と地ほどの差があります。
そもそも琅燦が本当に戴を救いたいと考えていたのなら、謀反前に阿選に妖魔を与えたこと自体がおかしいんです。
阿選に妖魔を与えなければ、驍宗が生き埋めになることはなかった。
驍宗から玉座を奪った張本人のくせに「玉座に座るのは驍宗しかありえない」と断言するのは矛盾しているし、本気で言っているなら救いようのないバカです。そんなバカを耶利が主として認めるとは到底思えません。
また、琅燦は処刑場で「いつ頃からか、泰麒の周りで魂を抜かれる者が減った=角は完治していたのか」と驚いていますが、実際は耶利が次蟾(鳩)を狩っていたのが正解です。
琅燦が耶利の主公であれば当然こんな発想に至る訳がない。
そもそも戴を救いたい人物が泰麒の周りに次蟾を仕向け、それを放置した挙句、驍宗を救う重要な駒となる恵棟を見殺しにするのも変な話です。
よって、琅燦は耶利の主公ではないと考えています。
泰麒のセリフは本作最大のミスリードではないでしょうか。
耶利の主公が誰なのか、という謎の答えがハッキリ明示されていないため何とも言えませんが、とにかく耶利は主公について詮索されることを嫌った。だから否定も肯定もしなかった。
「私を動かしていたのは琅燦ではない」と言えば、「じゃあ一体誰が?」と項梁や李斎からしつこく追究されるでしょうしね。(笑)
耶利は主公から『泰麒の護衛は項梁1人しかいない(=指令がいない)』ことを最初から伝え聞いていますし、王宮内にいる驍宗の王気すら今の泰麒には分からない、と知っても全く動じませんでした。
ということで、『泰麒の角が斬られていること』を耶利は最初から把握していたのだと(私は)踏んでいます。
その上で「麒麟の気配を嫌う」「泰麒と一緒にいれば一晩くらいなら問題ない」と断言していることから、次蟾を遠ざけること、症状を少し和らげること自体に角の完治は関係ないのではないかな、と考えています。
玄菅説
王宮の内情を秘密裏に外に漏らしていた玄菅。
「位が高く」「朱旌のネットワークがあり」「処刑の日は奉天殿の中にいて」「民を救うために暗躍している」人物です。李斎に青い鳥を飛ばしていました。
この玄菅こそが琅燦の正体ではないか?とも考えられるのですが、処刑場で琅燦と玄菅は同時に登場しているんですよね。
おそらく同じ空間の、少し離れた場所にいる。それを明示する文があるので玄菅と琅燦は別人でしょう。
朱旌ネットワークは玄管には必須ではないですね。
玄管=耶利の主公(もしくは主公の協力者)である場合、玄管に朱旌との繋がりは必要ないですから。
玄管・耶利の主公の正体(考察)
『白銀』の登場人物一覧(参考)
とんだサイコパス説
好奇心旺盛な琅燦による、戴の国民を巻き込んだ社会実験説です。故にサイコパス。
琅燦は『好奇心旺盛で知識欲が強い女性』として描かれています。そして愛国心が全くない。驍宗のことは敬っているけれど、戴王を敬っている訳ではない。驍宗は驍宗、王は王で割り切っている。
彼女は黄海から戴に来て以来、様々なことを学びました。国の仕事を知り、冬器を知り、天帝のシステムを学んだ。けれど疑問は尽きない。
王と麒麟のいない──謂わば天帝の加護がほとんどない土地で育った琅燦にとって、天帝の意思に左右される『国』は非常に興味深いものだったのでしょう。
事実、琅燦は「驍宗様のことは尊敬しているが、興味には勝てない。私はこの世界と王の関係に興味があるんだ。何が起こればどうなるのか、それを知りたい」と言っています。
私はこの言葉こそが琅燦の本音であり、悲劇の真相ではないかと思うのです。
『王と麒麟をめぐる摂理に興味があるが、誰も答えは教えてくれないからね。知るためには試してみるしかないんだ』
(琅燦 / 白銀の墟 玄の月)
別冊『図南の翼』でも散々描かれたように、黄朱は基本的にとてもシビアです。
主人への忠誠心はあっても国や民への情はない。物事の道理が分かっていてもそれに従う義理がない。
更夜や頑丘の「この世に王は必要なのか」という疑問は、きっと黄朱なら誰もが抱く疑問なのだと思います。王がいなくても生きていけることをその身で証明している彼らにとっては、天帝と王が織りなす摂理はとても奇妙で胡散臭く、その正体を暴きたいと思えるほどに壮大だった。
『いったいこの世に本当に王が必要なのか? 王を失えば災異を招くというなら、王なんてものは幽閉してしまえばいいんだ。政など行わせなければいい。そうすれば有益なこともできん代わりに、無益なこともできんだろう』
(頑丘 / 図南の翼)
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また、『黄昏の岸(略)』で陽子が首を捻っていたように、天の摂理は呆れるくらい形式に拘っています。徹底的にマニュアル化されていると言ってもいい。それを琅燦も知っていた。
だからきっと、『イレギュラーな手法で王と麒麟が突然消えた場合、残された国は一体どうなるのか。その行く末を見てみたい』と考えたのだと思います。
──とにかく、そんな琅燦が利用した手駒が阿選だったのではないでしょうか。
琅燦は非常に優れた頭脳と鋭い観察眼を持っています。
阿選の葛藤を早い段階で察していた琅燦は、阿選を唆し、彼に妖魔を操る術を教えて驍宗を襲わせた。
おまけに泰麒の角を斬るよう進言して、『何の罪もない王と麒麟が逆賊によって幽閉された場合、天はどう動くか』を社会実験した。
失道で王を殺して『なかったこと』にするのか、それとも神秘の力で王を助けるのか、はたまた荒廃する国を見捨て、永遠に知らぬ存ぜぬで押し通すのか。
そのあたりを琅燦は知りたかったのだと思う。
琅燦は天帝が敷いたマニュアルの不備を突いた。法律の抜け穴を潜る犯罪者のように、天綱に載っていない不測事態を天がどう対処するか見守った。
『黄昏の岸(略)』で陽子が言っていたように、天も間違えることがあるのだ。天の摂理は絶対じゃない。
黄海育ちの琅燦はそのことを漠然と理解していて、その真偽を確かめなければ気が済まなかった。──好奇心が抑えられなかった。
だから戴で起きた前代未聞の悲劇は、すべて琅燦の知的好奇心による産物なのだと思う。
強いて言うなら十二国の王なら誰もが通る『最初の試練』が、驍宗の場合は『琅燦』だったのだと思います。
阿選は災厄の象徴でしかない。災厄の種は、阿選ではなく琅燦だ。
驍宗は阿選の心情を全く理解していなかったけれど、それだけでは阿選は暴走しなかった。勝手に一人で悩み苦しみ、劣等感や孤独感に苛まれていただけで。
そんな阿選を謀反に突き動かし、国の荒廃を進めたのは間違いなく琅燦です。
では何故そうなったかというと、驍宗が黄朱の思考回路を正しく知らなかったからではないかな、と。
……と驍宗は考えていましたが、その朱子(黄朱)が驍宗たちとは根本的に異なる価値観を抱いているのだと知らなかった。
そもそも、常識外の環境である黄海で生まれ育った人間がいることを、驍宗は知らない。
だから王になってからも黄朱との交流を続けたし、臣下が黄朱と関わることも止めなかった。
十二国で生まれ育った人間にとって天帝は絶対です。民を導く王は何よりも尊く、王というだけで国民全員の主になる。それが絶対的な常識であり、心の底からそう信じている。
けれど黄朱にはそんな価値観がない。天帝への疑問もたくさんあるだろうし、陽子のように一歩引いた場所から天の摂理を眺めて「何かおかしい」と首を捻ることも多々あるのだと思う。でも、驍宗はそれを知らない。
もちろん驍宗も黄朱の知恵や生き方を尊敬しているだろうけど、「そんな過酷な環境に身を置かなくても本来なら豊かな国で過ごせたのに」という同情が彼の根底にある気が。
珠晶は「王様になれなかったら黄朱になりたい!」「みんな黄朱になれば良いのよ」とサラッと言っていましたが、驍宗は違う。このへんの対比が面白いな〜〜、と思いました。
琅燦が知りたかったのは『天が驍宗を助けるかどうか』、ただその一点だったと思うんです。
ラストシーンの処刑場において、驍宗の死は確定したも同然でした。少なくとも誰もがそう思っていた(泰麒ですら死を覚悟していた)。
それなのに泰麒が自らの意思、自らの手で殺傷を犯す異例の事態を生み出したこと、失ったはずの角が完治し見事に転変したことで、その場にいた誰もが驍宗に手を出せなくなり公開処刑は失敗に終わりました。
きっと「やられたな」と言った時点で琅燦の中で決着はついていたのでしょう。天は驍宗を助けた。それが答えです。
この先どんなに阿選が足掻いても、どんなに妖魔を使役しても、天は必ず驍宗を助ける。これにて証明終了。社会実験は終わり。
だからもう琅燦が阿選に付く必要はないわけで、無意味に驍宗や泰麒を殺す必要もない。
そもそも驍宗のことを尊敬していた琅燦は最後の最後で驍宗の助けになるよう計都を連れてきた。そうしたら泰麒が落下したので計都に助けさせた。
それだけの話ではないかな、と思います。
『天帝(泰麒)に驍宗を取られたことへの嫉妬説』を作中で阿選が唱えていますが、琅燦自身がその指摘に驚き「最高に面白いよ」と馬鹿にしているので違うと思っています。
泰麒の角について
琅燦は「泰麒の角はどこかの段階で治っていた」と踏んでいましたが、個人的には違うと思っています。
泰麒が驍宗の王気を感じたのは処刑場に着いてからですし、角が完治していたなら指令を呼び戻さない理由がない。西王母に頼らなくても、完治さえしてしまえばちゃんと指令を縛れますからね。でもそれをしなかった。
そもそも完治していたのなら、わざわざ耶利の前で剣を振るわなくても転変して驍宗の前に駆け寄れば事足りたんです。事実、転変後は誰も泰麒を止められなかった。でも、それをしなかった。
「今日まで苦難を耐えてきた民を絶望させるようなことは、絶対にしません」と断言した泰麒が、『確実に民と驍宗を救う方法(転変・指令)』よりも『驍宗共々死ぬかもしれない方法(自力で脱走)』を優先したのも不自然です。
つまり泰麒の角が治ったのは驍宗に会えたからではないかな、と思うんです。
饕餮を指令に下せたのも、初めて転変が出来たのも、全ては驍宗が理由でした。驍宗を守るため、驍宗を王にするため、泰麒は奇跡の力を起こした。
『魔性の子』『黄昏の岸(略)』でも同様のことがありました。
記憶を失くした泰麒に奇跡を起こしたのは転変した廉麟です。彼女の姿を目にしたことで、泰麒は麒麟として再び覚醒した。
だからきっと、今回の泰麒も驍宗に出会い「よくやった」と労われたこと(驍宗としっかり目が合い、「あとは任せろ」と言わんばかりに力強く頷かれたこと)がトリガーとなって角が完全に癒えたのではないかな、と思います。
『私は、麒麟として持っていたはずの奇蹟の力を悉く失くしました。喪失したからこそ、奇蹟ではない現実的な何かで、戴を救うために貢献しなければなりません。』
(泰麒 / 白銀の墟 玄の月)
この泰麒の言葉こそが本作の重要なキーで、『麒麟』という神秘の存在でありながら、現実的な男子高校生の側面も持つ『高里要』の頭脳戦が『白銀の墟 玄の月』の醍醐味でもあると私は思っていて。麒麟らしからぬ泰麒の言動を「面白い」と楽しむ耶利は読者代表みたいなものだな、と(笑)
そういうメタ的な面白さを考えると、やはり「泰麒の角は早い段階で完治してたんだよ☆」というオチになると「じゃあ散々描かれていた"麒麟の肝要"は一体何だったの?」「なぜもっと早く、確実な方法(麒麟の力)で驍宗を助けなかったの?」という話になってしまう訳で。
……ということで、個人的には『泰麒の角は完治していなかった』のだと思っています。
改めて感想
琅燦のことだけでこんなに長い記事になってしまった……(苦笑)
個人的に今作は『人間と麒麟の両方の性質を持つ泰麒の物語』だと思っているんですが、それと同時に『異なる主に従う兵士たちの物語』だったな、とも思います。
まず前者。
泰麒の「麒麟っぽくなさ」は圧巻でしたね。麒麟の性に意志の力で逆らい続ける。
その根底には驍宗への強い忠誠心があるのは当然として、『魔性の子』で描かれた残虐な悲劇が背景にあるのも切なかったです。
本来、麒麟は誰からも忌み嫌われない。けれど泰麒は忌み子だった。問答無用で慈しまれる愛の生き物なのに、酷い差別や侮辱を受け続けた。自分のせいで身内が続々と死に、巨大な蝕で甚大な被害を出した。
──これらの罪悪感や絶望を泰麒は一生忘れない。だから、強い。
『風の海 迷宮の岸』で、泰麒は事あるごとに例外として扱われていました。
特に気になるのが「麒麟は自国の国民性も引き継ぐものなのに、泰麒は戴の野蛮(笑)な気質を全く受け継いでいない」という描写。しかし驍宗だけが当時から泰麒のことを「恐ろしい子供」と認識していました。
多くの人は泰麒のことを純粋無垢で人懐っこい子供だと思っていたから(普通の麒麟だと思っていたから)、成長した泰麒の変貌ぶり、異質ぶりに驚愕して慄きます。
そんな中でただ1人、驍宗だけが『耐え忍ぶに不屈、行動するに果敢、それが戴の気質。それを泰麒もしっかりと受け継いでいる』と認識し続けていたことが尊いです…!
ちなみに耶利は『面白い御仁』と認識していましたが、項梁から「耶利の口から語られる台輔はまるで驍宗様のようだ」と聞かされてからは『面白い御仁』から『自分が仕えるべき戴の麒麟』に認識が変わったように思います。
あの瞬間、おそらく耶利は主公が驍宗を慕う理由を正しく理解し、それと同時に戴国の王であり泰麒の主、かつての主公が認めていた驍宗のことを認めたのだと思うので。
そもそも驍宗の王朝で一番危うかったのは驍宗の苛烈さと泰麒の人の良さ(騙されやすさ)だったので、それが払拭できたからには長く続く朝になること間違いなし。最後のイラストがなくてもそう読めます。最高。
そして後者、『異なる主に従う兵士たちの物語』について。
いや〜〜〜〜! 苦しかった!!!
阿選の麾下の恵棟・友尚はめちゃくちゃ推したいし、ただひたすら実直に働いていた品堅と帰泉、駹淑、伏勝も推せる。でもみんな悲惨な末路で悲しい。
阿選に召されて歓喜していた帰泉に(内心では阿選に猜疑心を抱きながらも)「よかったな!」と言ってやりたくて、でも帰泉は明らかに阿選のせいで病んでしまって、挙句捨て駒として呆気なく死んでしまった。
人情に篤い杉登と品堅の喪失感は如何程のものか。ほんと、本当に辛い…!
そして恵棟。
『私は──私の主には、弑逆などという非道に手を染めてもらいたくなかった。やむを得ぬ事情があるなら、まず麾下を説得してもらいたかった。もちろん、事前に計画を知っていれば私は止めました。主公に罪人になどなってもらいたくはなかったから。それでもなお仕方ないのだと説得してほしかったし、主公がそこまで言うなら仕方ないと納得したかった。そのうえで、同じ罪を背負って、せめてもの罪滅ぼしに国と民のために働きたかった。その全て──ただの一つも残さず、何もかもを阿選は踏み躙った』
(恵棟 / 3巻P.368)
↑からの、「この国を見てください!」だよ。
「罪人側にいながら、どこか自分は巻き込まれた被害者のような気がしていた。──今もしている」っていう言葉が本当に切ない。
そして「阿選を王とする天が許せない」「絶対に認められない」と涙ながらに渾身の訴えをする恵棟には、本当に幸せになってほしかった……
「何の罪もない人々を殺すのが、ずっとずっと嫌でした」って泣き始めた友尚の麾下も辛い。
友尚も友尚で、良い人ぶる夏官長の叔容に「お前は自分の手を血で染めていないだけ」「民にとっては俺たちも残虐非道な兵士に変わりない」と痛烈に言い放っていたのが印象的。
何度目かの読み返してを経て、「いやいや今作は戴の国民全員が主役の話だろ」と考え直しました。
職や出自、性別に年齢。何もかもが異なる人々が皆必死に祈り、守り、闘う。それこそ軍人から土匪、子供、女性、老人……一切が関係なく。
『耐え忍ぶに不屈、行動するに果敢、それが戴の気質』
今作に登場した国民は、皆(烏衡らを除く)が不屈で果敢でした。
特に鄷都の一件からの怒涛の展開は……ウッ(涙)
個人的なMVP
個人的に、今作のMVPは「驍宗に供物を捧げていたお父さん」「亡き姉との想い出が詰まったお手玉を流した少女」だと思います。
過酷な環境下で生きていた彼らは、長女が餓死したのに、本当は川に流さず家族で食べたいのに、泣きながら貴重な食物を川に流していました。少女はそんな父の想いを感じ取り、「私も何かしてあげたい」とお手玉を流します。
その理由は、彼らが轍囲の民だったからです。
先祖や故郷を救った英雄を弑逆した阿選が許せなかった彼らは、亡き驍宗への感謝と敬意を込めて供物を捧げ続けました。
そんな彼らの供物があったからこそ驍宗は長く生き延びれたし、騶虞を狩ることが出来た。
結局のところ、今作のキーポイントは全て轍囲にありましたね。
驍宗が『轍囲の乱』で不戦勝をしたことにより、阿選は自分の独り相撲に気付いて絶望します。
(このとき阿選が抱いた羞恥心や孤独感、なんとなく分かります。)
一方で、驍宗が天啓を得たのも轍囲の乱があったからだろうな、とも思うのです。
軍人でありながら武器を一切振るわず、けれど驕王の命令通り最後にはしっかりと倉を開けさせた。本当は倉を開けたくない民が泣きながら驍宗に折れたシーンはグッときました。
暴力に物を言わせて高圧的に民を従えるのではなく、牙を隠して腹を見せ、情に訴え続けた驍宗に胸を打たれます。
そしてそんな驍宗を暗い地の底から救ったのは、泰麒でも李斎でもなく轍囲の民でした。
3巻を読むまでは「誰かの助けがないと驍宗は何もできない」と思い込んでいただけに、自力で壁を掘ったり騶虞を捕まえていたのには笑いましたね! さすが王。
でもそれは驍宗1人の力ではなくて、もう何十年も前に助けた轍囲の民の篤い恩義で成り立っていたんですよね……。胸アツ。
改元された暦が『明幟』なのも轍囲の民と関連していてしんみりします。
もちろん明幟の由来は白幟だけでなく途中から轍囲の民以外も加わった墨幟の人々の想いを汲んでのものですが、やっぱり最初の始まりは轍囲なんですよね。
尤も、墨幟のデザインをしたのは驍宗と同郷の鄷都であり、彼の並並ならぬ人徳や驍宗への尊祟を思えばこそ、『明幟』が示す彼らの尊い忠義や仁義の功績が暦を通して戴国全土に未来永劫染み渡るのが感無量です。
「MVPは轍囲の親子です!」と言っておいてなんですが、彼らの存在だけでは最終的に驍宗は助からなかったかもしれないんですよね。
処刑場で驍宗を助けられた最大の理由は「泰麒が小臣の剣を盗んで彼らを斬ったから」です。
誰もが麒麟は争いを厭う慈悲の生物と思い込んでいたからこそ、泰麒は阿選らの度肝を抜くことに成功し、驍宗の前に馳せ参じることが出来た。
でも実は泰麒は過去に一度、剣を使って人を殺そうとしています。正頼を助けるときです。
あのとき初めて泰麒は逆上し、「正頼を見殺しにできない」と項梁と耶利に必死で訴えました。耶利が初めて感情的な泰麒を見た瞬間です。
耶利は「正頼を助ければ、泰麒が人を傷付けることが出来ると阿選たちに知られてしまう」と指摘しました。その指摘にハッとした泰麒は、ようやくその場を離れる決心をします。
ここで耶利が泰麒を止めていなければ、阿選は厳重すぎる警戒体制で泰麒を監視していたでしょう。
処刑場の救出は泰麒の奇襲が功を奏した結果に過ぎません。今作において耶利の存在は本当に大きかったと思います。鳩の始末もね。
タイトルの意味
タイトル『白銀の墟 玄の月』ですが、ここに記された『白銀の墟』は間違いなく白圭宮のことだと思っています。
“墟"とは一文字で"荒れた跡"という意味を持ちます。鳴蝕により派手に崩壊し、王の不在により未だに再建されていない白圭宮はまさに『白銀の墟』です。
確か作中でも項梁か巌趙が白圭宮を「廃墟のようだ」と独白で例えていましたから、これは間違いないかと。
あとは驍宗様の白髪にも掛けてるのかな、ともぼんやり思ったり(これはオマケ程度)。
で、『玄の月』。
月といえば普通は金色です。
それなのに敢えて『玄』で表すのは、「普通は金色だけど黒色をしている」泰麒と掛けているようにも思えます。それに今作において泰麒は荒廃した暗い大地を照らす月、まさに希望の道導ですしね。
例えば李斎が驍宗を救うため四苦八苦していたとき、彼女の心情は『先の見えない真っ暗な絶望』として表現されていました。
でも阿選に立ち向かう算段がついたとき、暗闇を一筋の光が射す描写があった。そういう戴の国民がそれぞれに抱いた、暗闇を照らす微かな希望の光を『月』で暗喩した──ということも考えられます。
その希望の光を『玄の』とあえて金色から変えたのは、前述のとおり黒麒の泰麒をイメージしてのことかと。
ちなみに『玄月』で旧暦の9月を指します。
驍宗が阿選を討ち、宮廷を整えたのは戴国の暦で10月です。
旧暦の9月は新暦の9月下旬〜11月初旬(つまり10月)を指すので、『玄月=驍宗が玉座に帰還した日』と読むこともできます。
個人的にはこの『玄の月=泰麒、玄月=正しい王の帰還』のダブルミーニングこそがタイトルの真意じゃないかな、と思っています。
第1巻に、ご丁寧にも『蓬莱とは暦が一月ほどずれている』との記載がありました。
「こちらの11月は蓬莱の12月にあたる」と泰麒が述べています。つまり、十二国は旧暦で確定です。
番外編や後日談でもない『白銀の墟 玄の月』内で、わざわざ暦の話を持ち出し、蓬莱と十二国との違いを明文化している。
これこそが最大の伏線では……!?と一時はめちゃくちゃ興奮しましたが、う〜〜〜ん。
戴国の10月=旧暦の10月=蓬莱の11月です。
玄月(9月)とは重なりませんね!!!
よって『玄の月=玄月=驍宗の帰還日』は間違いっぽいです。無念。
さいごに
驍宗様最高〜〜〜っ!
前々から「自分は部下から慕われていないのでは」と不安になったり、幼い泰麒が「驍宗には天啓がなかった」と悩んでいる事を知って「それでも私は王だろうか」と景麒に問うたり、人間くさい一面も描かれていましたが……いやあ! 驍宗様いいですね!!!
一向に助けに来ない泰麒に失望するのではなく、「助けてやれず、済まない……」と本気で落ち込む姿よ。最高の上司、いや主人。そりゃ初対面の騶虞も惚れますわ(?)。
処刑場まで助けに来た泰麒の無茶にも動じることなく、一瞬で全てを理解して「よくやった。もう良い」と労う姿勢がほんと! 素晴らしい主人で王様だなあ、と。だからきっと泰麒も感極まって転変しちゃったんだろうな……。
麒麟の姿になった泰麒が、驍宗に首を押し付けてたのが愛おしかったです。
あと泰麒の「先生……」と広瀬に縋るところ。グッときた。
泰麒にとって蓬莱での6年間は本当に地獄だったと思うんです。そんな泰麒に広瀬だけが寄り添ってくれた。
戴にいれば『麒麟だから』という理由だけで李斎らに優しくされるけれど、泰麒が本当に欲しいものってそういう優しさじゃないと思うんですよね。泰麒は賢いから「李斎らが自分に優しいのは、自分にそれだけの価値があるから」と正しく彼らの善意を理解しているはず。だからこそ、その優しさが寂しいときもあるんじゃなかろうか。
たぶん、泰麒にとって広瀬は唯一「何の利害関係もない親愛」を向けてくれた人だと思う。
もっとも、広瀬自身は泰麒を通して「ここは俺の居場所じゃない」と現実逃避をしていたに過ぎない訳だけども、そういうエゴすら泰麒にとっては可愛らしいものだと思う。(笑)
以上!
玄管の考察やら何やらはまた今度。
玄管・耶利の主公の正体(※長文注意)
ディスカッション
コメント一覧
考察、拝読させていただきました。自分も玄管は皆白だと思っています。当初は琅燦かな、と思いもしましたが、黄朱の人間関係を考えると同胞に対して主公と言う敬称がそぐわない事に違和感を感じましたし(黄朱にとっての敬意の対象となるのは宰領だと個人的におもってますので)、ここで考察されているように言動に一貫性のない人物となってしまうので対象外としました。ただ、琅燦の原動力が単なる知的好奇心と言う一点において再考の余地があるのではないかと愚考しました。
あくまで個人的な所感ですが、マッドサイエンティスト的な人物像に対し、時間と資金の赴くままに自由気ままに周囲の迷惑を考えずに振舞う、そうした感想を抱いています。一方の琅燦ですが、驍宗政権下において冬官長だった期間は僅か半年。あまりに短期間過ぎて呪具の開発や妖魔の運搬(四箇所ある地門の内、妖魔を外に出す事を見逃してくれる国があるとすれば、海客に嫌悪を抱いている巧国が妥当ですが、その交渉に要した時間も含めて)はおろか、阿選を唆すだけでもスケジュール的に無理があると感じました。そうなると考えられるのは、長期的な計画です。それはいつからなのか?
驍宗が目撃した昇山の時期から考えた場合、その伝手により昇仙し入朝後冬官の下っ端から好スタートを切れたとしても、彼女に用意された時間は最大に見積もっても10年が限度ではないかと思われます。非差別対象の黄朱とは言え、実力主義の冬官府であれば、黙々と下積みから始め実力を示していけば、内々には認められる事も難しくはなかったでしょう。ですが、官僚としての地位はそう簡単に上がらず、ここで登場するのが範王を辟易とさせた例の鎧です。文治の驕王自身が発注したとは考えづらく、ならば琅燦の発案によって献上され、以降彼女は王の覚えがめでたくなり、地位を上げ裏で呪具の開発等に取り組めた可能性もあるのではないでしょうか?
そんな野心家で努力家の彼女にも読めないものがあります。それは王の崩御と次王の登極ですが、更に事態をややこしくしているのが蓬莱にいた泰麒で、場合によっては現地で天寿を迎え、かつての恭国のように長く王が不在だったパターンも十分ありえたのです。
天が敷いた王と麒麟の仕組みに割り込む──戴の場合たまたま阿選と言う配役がいましたが、これもまた不確定な要素のひとつとして数えられ、そんないつチャンスが巡ってくるかも分からない命題に、果たして単なる知的好奇心だけで取り組めるのだろうか、もっと他にそれを後押しする巨大な情念があったのではないかと思った次第です。あくまで個人的な所感にすぎず、身を焦がすような情念をも凌駕する好奇心も存在し、それ故にマッドたりえるとも思ってはいます。長考、失礼しました。
よく読み込まれていて考察面白かったです。
玄の月は新月の事じゃないかな。
泰麒と、供物の親子と、金の光が生まれ始めるのを掛けてる。
あと琅燦については味方だと思ってます。
こここそがミスリードかな〜と。小野さん、皆に散々叩かせてからのどんでん返し狙ってません?
驍宗から阿選を試せと言われたとか…ね。ただその場合、驍宗の立場が微妙ですが…。(あんたがけしかけたんかい!みたいな)耶利に、泰麒に角が無い使令が居ないと教えられるのって琅燦以外に居ないと思えるのですが。
妖魔については、以前に「帰山」で利広ママが、妖魔の方になんかあるんじゃなきゃ良いけどと言っていたので、その線も考えています。
角については同意見です。「よくやった」の一言で開放されたと思います。
今後の泰麒には、王気の助けが必要なんじゃないかと思うので、常にくっついて欲しいです。景麒が蓬莱で形を保てたのが王のそばに居るときだけ…と言ってたので王気は麒麟の増強剤なんだろうし。
短編集いつ出るのか楽しみですね。
アイス様
コメントありがとうございます!コメントを頂いていたことに全く気付かず、返信が非常に遅くなりすみません。
長文かつ駄文な記事ですが丁寧に読んで頂けて嬉しいです。
驍宗も4巻あたりで「阿選が動かないことには討てない」と言っていましたし、その辺りがとても気になりますね。個人的には「琅燦が阿選を唆す」→「阿選が謀反を決意する」→「驍宗が阿選の殺気に気付く」→「阿選が動かないことには驍宗は阿選を討てない」という時系列なのかな…と思っていますが、この順番が実際はどうだったのかによって話が大きく変わる気もします。(琅燦のファインプレーなのか、はたまた余計な行動だったのか)
角を斬られたことは泰麒自身が黄医の文遠に伝えていますので、その場で聞き耳を立てていた浹和→立昌(→)主公→耶利に伝わったのかな……とも思っています。ただ、最近は「全部琅燦の仕業だったなら色々と深読みしなくてもいいな」ともちょっぴり思っています(笑)「黄朱は総じて忠義に篤い」みたいなことを耶利も言っていましたし、琅燦なりの忠義の結果がこれだったのかもしれませんね。
新月は確かにそうかもしれません。作中でもやけに新月の描写がありましたしね。
妖魔の動き、私も気になります。というより十二国世界全体で不審な動きがあるようなことを仄めかされていたので、その辺りも気になります。もしこの辺りの事情が戴の悲劇に繋がっていて、あるいは繋がっていなくても今後の続編で明かされることがあるのなら、その時はぜひ利広の活躍が見たいな、なんて思っています。個人的に利広はめちゃくちゃ好きなので……(笑)
『麒麟の増強剤』、とても的確で良い言葉ですね。すごく分かります。正直『白銀(略)』は謎のまま終わったものがすっごく多いと思っているので、短編集ではそれらが読者に明かされるといいな、と思いつつ、驍宗様と泰麒の平和で仲良しな日常話もすっごく読みたい気持ちでいっぱいです。
改めてコメントありがとうございました!短編集、楽しみですね。
まだお疲れでなければ(笑)もう一つお付き合い下さい。
いろいろな方の感想を読んでると、勘違いなのか、角が無いから使令がいないと思ってる人がほとんど。
角が無いと新たな使令が下せないだけで、あの2匹は既に泰麒の一部。今居ないのは単に穢れて理性を失ってるから。西王母が預って清めてる最中ってだけ。
居たら角が無くても泰麒を守るから魔性の子になったわけで…。
だから、角が無い=使令は居ない ではない。(これは小野先生も不本意かと)
多分、角を切られた事と、使令を結びつけてる人はあの世界に居ないはず。角を切った阿選も琅燦も泰麒を試し切りして「阿選新王」納得したのはそのせいでしょう。
…でも琅燦は察したかも。
まあ耶利ちゃんは頂梁から聞いたかもですけどね。
こんにちは!コメントありがとうございます。
またもお返事が遅くなりすみません(私はコメント欄を見ていなさすぎですね笑)
確かにご指摘の通り、角の有無=指令の有無ではないですね……
泰麒の指令が蓬莱で暴走して制御不能になっていたのは読者と李斎らしか知らないことでした。読者の常識を登場人物全員の常識と考えてしまっていました。
文遠が「角は麒麟の生命の源」と言っているので麒麟の生態に詳しい黄医や琅燦は察したかもしれませんが、確かに他の人達は特に何も考えていなかった気がします。そもそも饕餮のいる麒麟の危険性(?)についても琅燦以外の官吏は特に何も考えていなかったみたいですし。(※『黄昏』から)
これは完全に余談ですが、
・泰麒は驍宗のために絶対に全力を尽くす と考える状況下かつ
・指令(特に饕餮)が出てこれば絶対に苦戦するであろう状況にも関わらず、駹淑ら下っ端兵士を泰麒周辺に固めるだけで満足していた阿選……(笑)
麒麟の生態や天の摂理をよく知らないが故に、肝心のところで詰めが甘くなっちゃう阿選に微笑ましくなりました(いややってることは完全にアウトなんですけども)
改めて色々と考えることがたくさんありますね、白銀は(^^)
大変貴重なコメントありがとうございました!
はじめまして、Googleで『十二国記 玄菅』の検索で辿り着かせて頂きました。
単刀直入に言えば、私の持論は『玄菅≒耶利の主公』『琅燦=サイコパス』です。
けれど、ちまたではいろんな說が出回っている模様で、様々な考察サイト様を参考にさせて頂きましたが、こちらが尤も腑に落ちた上に、私的に目から鱗な考察も記述されていて、より深く「白銀の墟 玄の月」を味わうことができた次第で、多少なりとその感謝を伝えたいとコメントさせて頂きます。
一読目は、結末知りたさの為に、詳細すっ飛ばして読んだので、『琅燦=耶利の主公』と思いかけたのですが、何か違和感がびんびん。小説を読む余裕のない相方にあらすじを語る為に二度三度と読み込むうちに、あちこちにちりばめられた”玄菅”という敢えてのニックネームでの行動描写が目に付き、これは、小野さんによる故意ののトリックなのだと察しました。
恐らく小野さん的には、仰々しく主上に可愛がって貰う為に行動する人だけではなく、ひたすら影に徹する人の活躍をも描いてみたかったのかなと。
以下は、こちらで記載されていた推理にまったくもって同感です。
同じ結論を筋道立てて記述していただけたことに感動しました。
その後の記述も、感動を新たにする思いで尊く拝見させていただきました(*^^*)
私的に目から鱗だったことを以下に記します。
タイトルの意味に関する推理。
白銀の墟までは、「極寒を迎える荒れ果てた国土」のことかなぁと朧に推測していたのですが、玄の月に至ってはお手上げでした(笑)
正直、今作以前は泰麒のことをあまり評価していなかっただけに、タイトルに仄めかして貰えるような存在とは思ってなかったのです。
けれど、確かに、今作において泰麒は、荒廃した王宮を、騏驎らしからぬ暴力や冷徹でもって取り仕切り、瑞州の民へと、ひいては戴へと光明をもたらしました。
ああ、確かに、泰麒は”玄の月”です。
驍宗と珠晶の差異に対する考察もとても納得できました。
けれどこれは、どちらが王として優れているかという問題ではなく、純粋に経験と環境の差だとも思えます。
恵まれた環境で若年の珠晶は、その余裕のお陰で柔軟な感受性を失っていなかった。
長年武将として勤めてきた驍宗は、王以下の民は全て庇護すべき者という観念で凝り固まっていて…。
そんなことはNecococoさんもご理解のうえでのことだと思うので、多様性の貴重さを考えさせてくれる考察だと感じ入りました。
願わくば、今後発刊されるらしい短編集が、収まり付かない読者の疑念や感情諸々が昇華される内容であることを祈りつつ、良文への感謝を添えて。
カル様
コメントありがとうございます!コメントを頂いていたことに全く気付かず、返信が非常に遅くなりすみません。
こちらの記事をとても丁寧に読んで頂きありがとうございます。
『ひたすら影に徹する人の活躍』、分かります。巌趙も「阿選に従うフリをしている人もいる」ようなことを言っていましたし、阿選王朝でも密かに驍宗のために暗躍していた人物がいるのは間違いないんだろうな、と私も思います(もしかしたらそれが琅燦というオチの可能性もありますが笑)。
驍宗と珠晶の差は感受性はもちろん、『黄朱から何を教わったか』の違いも大きいのかな、と思っています。珠晶は頑丘と命懸けの旅をしたことで黄朱の生き方や独自の価値観を知り、それがいかに残酷で正しいかも知りました。そして黄朱の里や犬狼真君の存在まで知った珠晶は、黄海で生きる黄朱をある種『黄海という1つの国で生きる人々』のように認め、尊敬しているのではないかな、と。生まれたときからずっと王のいない過酷な土地で育っているのは珠晶も黄朱も同じですから、珠晶と頑丘は互いに似た者同士というか、互いに感情移入しやすかった気がします。
一方で驍宗は黄朱に出会った瞬間から腕の立つ傑物でしたから(笑)、驍宗と関わった黄朱らは驍宗と過ごしながら『自分たちの表面的な生き方』しか伝えなかったのではないかな、と思っています。多分そんな表面的な情報だけでも驍宗は多くを理解したでしょうし、そんな驍宗の姿に黄朱は安心と信頼を覚えたのかな、と。ただしそんな関わり方で驍宗が黄朱の全てを理解するのは到底無理な話で、だからこそ驍宗は『朱子ら黄朱は故郷がなくて子供も持てない』とネガティブな感情を思っているのだと思います(黄朱が里木を持つことは珠晶しか知りませんし)。
『黄朱にもちゃんと帰る家や故郷があって、望んだ相手と子供を持てる』という明るい真実を知っている珠晶とそれを知らない驍宗では絶対的な価値観の差が出るのは必然だろうな……と思います。(だから驍宗は劣っていると言いたい訳ではないのですが、それぞれ『黄朱と繋がりのある王』であることは変わらないのに『最初の10年』に差が出たのは面白いな、と思いました。)
短編集、楽しみですね。残されたたくさんの謎が明かされることに期待しつつ、驍宗と泰麒の日常話に加えて安否不明の人々の平和な話が読みたいです。
改めてコメントありがとうございました!
狼燦について、完全に味方だと思います。よく問題にされるのは使令を驍宗のもとに使わすよう教唆したことですが、実際に驍宗様は相当に危険な状況でした。時系列がはっきりしないのですが、阿選が泰麒の角を切るのと驍宗様が闇討ちに合うのは闇討ちの方が後だと思われます。鳴蝕で蓬莱に流されなければ、使令は驍宗様を助けることができたと思うのです。魔性の子で王の敵かと問う使令ならば、角を失った泰麒の王を守れとの命令を遂行したと思われます。
使令がどうあっても到着できないタイミングで驍宗様が闇討ちに合ったのだとすると完全にアウトですが、どうでしょうか。
阿選はいつか背く、ならばそのタイミングと手口を操作し、混乱を最小限に止めようとしたのではないでしょうか。
狼燦は阿選の前で本音を話したことはないとあります。ならば数々の疑問発言は驍宗様の生存を担保するためだと考えられます。傀儡作戦も内乱を拡大させないため、驍宗様麾下の潜伏を助けるためと考えると辻褄が合います。
清秀様コメントありがとうございます!
琅燦が味方かどうかは明示されていないのでそれこそ個々人の判断による、というのを大前提として、個人的にはやはり味方とは思えないな、と思うのです。
まずご指摘いただいた『阿選はいつか背く』というのがそもそも引っかかっていて、阿選自身「琅燦が再三に渡り阿選を唆さなければ、自分は決して謀反を起こさなかった」と自己分析しています。また、驍宗も阿選のことを『阿選は常に2択(行動するか・しないか)で生きている』と指摘していました。『謀反を起こすと一度決めたら必ず起つ』。つまりそこまでの決心がなければ阿選は絶対に謀反を起こさない。
阿選は驍宗が王に選ばれたことには深く絶望しましたが、しかしそれだけでした。むしろ「驍宗がどんな国を築くか最後まで見届けて、そのあとで自分が王になって驍宗を越えればいい」とさえ考えていたくらいです。
そんな阿選の淡い希望を打ち砕いたのが琅燦です。
「同姓は連続で王になれない」と阿選を更に絶望させ、謀反を起こさせようとしています。が、「それでも【その事実だけなら】阿選は謀反を起こさなかった」と阿選は独白しています。それくらいに【阿選の謀反が自然発生する可能性は0に近いものだった】のではないでしょうか。
にも関わらず、琅燦は執拗に数多の言葉や表情で阿選を絶望させ、謀反を唆した。これが「驍宗王朝の安寧のため」というのが、個人的には理解できないんです。
次に指令の件ですが、泰麒を無防備にしてまで驍宗の護衛をさせずとも、『泰麒を守ってから』驍宗救出に指令を向けた方がどう考えても効率的かつ確実だと個人的には思います。驍宗の闇討ちが泰麒襲撃の後なら尚更です。
泰麒が無事であれば王気を探ることができるし、地脈を使って指令が驍宗を助けることもできる。そもそも饕餮がいれば阿選の刀は泰麒に届く前に無力化していたでしょうし、わざわざ角を斬らせなくても【阿選が泰麒に切りかかった時点で】謀反アリとして阿選を討伐することが可能でした。
そもそも、もしも驍宗のためにわざと阿選に謀反を起こさせたのなら、阿選本人が泰麒を襲うように仕向け、斬撃の現場を琅燦自身なり巌趙なりを利用して抑えれば済んだ話です。琅燦は非常に賢い設定なのに、あえて遠回りをした意味がよく分かりません。
最後に阿選が『琅燦は言動が一致していない』と指摘していた場面ですが、これは「天の摂理に興味がある」というセリフに繋げるための前置きかな、と受け取っています。
生粋の十二国生まれの阿選にとって黄朱の価値観は未知のものです。主である驍宗は敬うのに、王を敬わない琅燦は奇妙でしかない。
けれど、そうした前置きの後で「知的好奇心には勝てない」「王と麒麟をめぐる摂理に興味がある」と初めて琅燦は口にします。この言葉も阿選にとっては意味不明でしょうが、神の視点で物語を読んでいる読者にとっては琅燦の本音として受け取れるように書かれているのかな、と思いました。
(琅燦が本当に一貫して嘘をついている可能性ももちろんあります。──が、私は上記のように読み取りました)
長々と長文になってしまってすみません。
改めてこの度はコメントありがとうございました!
はじめまして、通りすがりに失礼します
私も「琅燦=(耶利の主公=)玄菅」説は違うのでは? と思います。
ただ、琅燦の「泰麒の周りで魂を抜かれるものが減った=角が完治」という認識は間違っていないと思います。
これは項梁視点で実感として証明されています。耶利が鳩を駆除するのはもっと先で、項梁の実感は寧ろ角の完治(当時はまだ完治ではなかったかもしれない)の伏線かと思われます。
また、
阿選に妖魔を与えた=驍宗が生き埋めになった
はあくまで結果論であり、琅燦の教唆が七年も玉座を奪う結果になった・生き埋めのまま助かったのも偶発的な事故です。
それはしかけた阿選も想定外だったと述懐しています。
「琅燦は(耶利の主公=)玄菅ではない」と思いますが、少々その論拠に引っかかったのでコメントさせていただきました。
こんにちは、はじめまして。コメントありがとうございます!
まず泰麒の角についてですが、角が完治していないことを承知している耶利が「次蟾は麒麟を避ける」という主旨のことを言っていたので『角の有無』というより『麒麟としての性(角が欠けた泰麒が血や争いを嫌い、病むような本能的なもの)』が重要なのかな、と読んでいました。
事実、耶利が次蟾を狩るまで巌趙は少しずつ、しかし確実に病んでいました。(夜になると進行して泰麒のそばに来ると少し治る。泰麒の近くに来る機会が少なかった浹和や平仲、文逹、徳裕は間に合わなかった)
また、泰麒が自分自身の手で小臣を斬ったことにより、結果的に阿選から逃げ切る前に泰麒は力尽きて落下しています。幸いにも李斎や英章らが駆けつけていたことで事なきを得ましたが、泰麒1人では絶対に逃げ切れませんでした。その上、何かしらの後遺症が遺った記載もあります。
やっぱり角が癒えていたなら「なぜ確実に驍宗を助ける方法(もっと早く転変して驍宗に駆けつける、指令を呼び戻す等)を取らず、麒麟の禁忌を犯したのか?」が分からなくて……(何か理由があるのかもしれませんが、、)
琅燦の件はそういえば不測の事態でしたね。
ただ予定通り阿選が驍宗と泰麒を意のままに監禁したところで、やはり玉座から琅燦の手で遠ざけたには変わらないのに「玉座には驍宗様にいていただきたい」というセリフが不自然な点は変わらないかと。
とはいえ、不測の事態だったことは重要なポイントですね。その点をすっかり忘れていました。
琅燦についてはまだまだ考える余地がありそうです……(笑)
コメントありがとうございました!